北国脇往還を歩く・・・③-2
2011年12月31日
さてさて続きです・・・

立派な蔵のたたずまいとたわわに実る柿がなつかしい風景です
昔の街道は今は利用されていないところもあって
田んぼの中へ伸びていたりします
そんな道を探し探し進んで行くと途中で消えていたり・・・
次につながる道に迂回しまければならず大変です
今は余りお目にかかれない石橋です
正面には小谷山が・・・

本来の名は「田川」
でも地元では何故か大橋川と呼ばれています
この橋は越前のお殿様が作ったと言われていて
田川~琵琶湖を利用して
北陸からの海産物を運んだと伝えられています
ここを過ぎると道幅が広くなり
やがて伊部の本陣が見えてきます

伊部宿本陣
小谷城下町は北国街道沿いの現在の「郡上」(下小谷宿)から
「伊部」(上小谷宿)にかけての地域でした
現在の小谷寺北側は弓を製造する職人が居住し
商人町もあったとの伝承があり浅井氏に直接従属する
手工業者が居住していたと思われます
小谷城下の町屋地区は資料によると他国商人が往来し・居住、
質屋・商人宿もあり、その規模は2kmにもおよび
整備され機能的に作られていました

小谷城参道碑
小谷城にまっすぐ続く道
この道をたどるとワリンゴとカイドウの並木道があるんですが
この道は通らず進みます
「千人橋」の道標があるところは大きな道路と交差しますが
どこを見ても昔の面影がないのが残念です
小谷城がみえるところまでやって来ました・・・

つわものどもが夢のあと・・・
小谷城を示すのぼりがはためいて

博覧会には多くの観光客でにぎわったことでしょう・・・

この向こうには大谷市場とよばれる城下町がありました
ここからは虎御前山も身近に見てとれ
まるで戦いのワンシーンを垣間見る想いです
寒い中での歩きでしたが・・・
歴史がらみの見ごたえのあるコースでした

立派な蔵のたたずまいとたわわに実る柿がなつかしい風景です
昔の街道は今は利用されていないところもあって
田んぼの中へ伸びていたりします
そんな道を探し探し進んで行くと途中で消えていたり・・・

次につながる道に迂回しまければならず大変です

今は余りお目にかかれない石橋です
正面には小谷山が・・・

本来の名は「田川」
でも地元では何故か大橋川と呼ばれています
この橋は越前のお殿様が作ったと言われていて
田川~琵琶湖を利用して
北陸からの海産物を運んだと伝えられています
ここを過ぎると道幅が広くなり
やがて伊部の本陣が見えてきます
伊部宿本陣
小谷城下町は北国街道沿いの現在の「郡上」(下小谷宿)から
「伊部」(上小谷宿)にかけての地域でした
現在の小谷寺北側は弓を製造する職人が居住し
商人町もあったとの伝承があり浅井氏に直接従属する
手工業者が居住していたと思われます
小谷城下の町屋地区は資料によると他国商人が往来し・居住、
質屋・商人宿もあり、その規模は2kmにもおよび
整備され機能的に作られていました

小谷城参道碑
小谷城にまっすぐ続く道
この道をたどるとワリンゴとカイドウの並木道があるんですが

この道は通らず進みます

「千人橋」の道標があるところは大きな道路と交差しますが
どこを見ても昔の面影がないのが残念です
小谷城がみえるところまでやって来ました・・・


つわものどもが夢のあと・・・

小谷城を示すのぼりがはためいて
博覧会には多くの観光客でにぎわったことでしょう・・・

この向こうには大谷市場とよばれる城下町がありました
ここからは虎御前山も身近に見てとれ
まるで戦いのワンシーンを垣間見る想いです
寒い中での歩きでしたが・・・
歴史がらみの見ごたえのあるコースでした


北国脇往還を歩く・・・③-1
2011年12月29日
北国脇往還・・・北国街道の木ノ本から
伊吹山麓をぬうようにして
関が原の中仙道とを結ぶ全長わずか40kmの短い街道で、
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康なども
通ったという歴史ある道です
越前福井や加賀百万石の殿様も
参勤交代でこの道を通り
また人々が商いをしながら行きかう
にぎわいのある街道でもありました
秋に歩く予定だったのがタイミングがずれ・・・
この寒空にしかも雪の中を歩くことに
今回で3回目・・・
前回の様子はここからどうぞ
今回のコース・・・野村(間宿)~内保~八島~平塚
~尊勝寺~田川~伊部宿(本陣)
降り立ったJR長浜は雪が降っていて冷た~い

ここからバスで前回のところまで
バスを降りて歩き始めます・・・
しばらくして目を疑う場面に・・・
季節はずれのお花が

本来は春に咲く オドリコソウ (シソ科)
R365をひたすら北上すると草野川・・・
湖北の大きな河川のひとつで2kmほど下流で姉川と合流
かつてはうっそうと繁っていたと言う福良の森を過ぎ
やがて国道からそれて八島の集落へと



たわわに実るクコの実 (ナス科)
乾燥させたものが薬膳料理・杏仁豆腐・などに使われます

マンホールのふたは地域性があっておもしろいですね

ここ八島~東へ約五丁が関が原と記された道標

かつては使われていたであろう?水車

ここ八島の集落には5つの道標があり
その最後の道標には
右 江戸へ
左 越前の文字刻まれ・・・

亀塚古墳
6世紀頃に作られた円墳で大友皇子の重臣で
中臣連金(なかとみのむらじかね)の墓と伝えられています
高月方面からは尖って見える小谷山も
ここからはなだらかな山容がはっきりと見えます

ここでちょっと一服
次へつづきます
伊吹山麓をぬうようにして
関が原の中仙道とを結ぶ全長わずか40kmの短い街道で、
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康なども
通ったという歴史ある道です
越前福井や加賀百万石の殿様も
参勤交代でこの道を通り
また人々が商いをしながら行きかう
にぎわいのある街道でもありました
秋に歩く予定だったのがタイミングがずれ・・・
この寒空にしかも雪の中を歩くことに

今回で3回目・・・
前回の様子はここからどうぞ
今回のコース・・・野村(間宿)~内保~八島~平塚
~尊勝寺~田川~伊部宿(本陣)
降り立ったJR長浜は雪が降っていて冷た~い


ここからバスで前回のところまで

バスを降りて歩き始めます・・・

しばらくして目を疑う場面に・・・

季節はずれのお花が

本来は春に咲く オドリコソウ (シソ科)
R365をひたすら北上すると草野川・・・
湖北の大きな河川のひとつで2kmほど下流で姉川と合流
かつてはうっそうと繁っていたと言う福良の森を過ぎ
やがて国道からそれて八島の集落へと



たわわに実るクコの実 (ナス科)
乾燥させたものが薬膳料理・杏仁豆腐・などに使われます

マンホールのふたは地域性があっておもしろいですね

ここ八島~東へ約五丁が関が原と記された道標

かつては使われていたであろう?水車

ここ八島の集落には5つの道標があり
その最後の道標には
右 江戸へ


左 越前の文字刻まれ・・・


亀塚古墳
6世紀頃に作られた円墳で大友皇子の重臣で
中臣連金(なかとみのむらじかね)の墓と伝えられています
高月方面からは尖って見える小谷山も
ここからはなだらかな山容がはっきりと見えます

ここでちょっと一服

次へつづきます

北国脇往還を歩く・・・②-2
2011年03月09日
川を渡ると・・・祠に赤ちゃんを抱いたお地蔵様が・・・
ここから街道は山の中へ入っていきます・・・途中旧伊吹町と
旧浅井町との境界を越え、薄暗い森の中を更に進んでいくと
梵字の石標が・・・かつて街道であったことを物語っています
この森を抜けると視界が開けて、やがてブドウで有名な
今庄の集落に・・・
ブドウの季節でないのがとても残念!!


天津神社・本殿
轟神社・七尾公民館は佐野の集落・・・
素晴らしい彫刻にうっとり・・・

このあたりは神社が多く、人々の信仰の厚さがうかがわれます

道端のお地蔵様が人々を見守っています・・・
陣屋橋 橋柱4本
圃場整備されてかつての橋のあとは見る影もなく・・・
立派なお屋敷が残る
← 本陣 佐々木家
みちしるべ →
嶋盛小学校の跡地の 大ケヤキ
樹高 20m
幹周り 6m
樹齢 約1000年

いつまでも変わらずにいて欲しいふるさとの自然・・・
そして人々の心も・・・


最後までお付き合いいただきまして有難うございました・・・

次回はいよいよ小谷城の麓・伊部宿を歩きます・・・

北国脇往還を歩く・・・②-1
2011年03月08日
北国脇往還は北国街道の木ノ本から、伊吹山麓をぬうようにして
関が原の中仙道とを結ぶ全長わずか40kmの短い街道で、
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康なども通ったという歴史ある道です
越前福井や加賀百万石の殿様も参勤交代でこの道を通り、
また人々が商いをしながら行きかうにぎわいのある
街道でもありました・・・
前回までの様子はここからどうぞ
今回のコース・・・春照宿~小田(やないだ)~井之口~
相樸庭(すまいにわ)~今庄~野村(間宿)

春照宿・本陣跡
立派な料理屋があったり、かつての宿場の面影が残る
街道筋ですが・・・新しく道が出来たり、往来していた橋が
なくなったりで行きつ戻りつをしながら鍵曲がりになった
街道を進みます・・・

八幡神社
5年ごとに行われる八幡神社の秋祭りは奴振りが勇壮に神社までを
練り歩き、境内では数十人の太鼓打ちが鉦(かね)やふくべ振りと
共に調子を揃えて踊り舞う珍しい祭りです・・・

白い伊吹山・姉川の河川敷には春の陽射しが・・・
でも・・・・
風は少し冷たい・・・です

さて これは・・・・・?


井之口分水

雪解け水が空の青と重なって素晴らしい

地元を経由した水を分水する農業水利施設で、円形の中央部より
水が噴き出す構造で上流の小田分水との水位差を
うまく利用したものです
なかなか見ることの出来ない珍しい円形は「より公平な水の分配」
を考えた結果で、細部の仕上げもとても丁寧にされて
水の分配をかなり意識して作られたものだそうです

春は名のみの 風の寒さや~
・・・と歌いたくなるような情景が広がっています

この姉川には越前橋が架かっていたのですが・・・
長い時間の経過と共に朽ち、橋脚と橋げただけが当時の
面影を残しています・・・
ゆっくりと・・・ゆっくりと歩いて早春の風をいっぱいうけて・・・
足元にはふきのとうが・・・顔をだしています
ほんと
春はそこまでやってきています・・・
次回に続きま~す
関が原の中仙道とを結ぶ全長わずか40kmの短い街道で、
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康なども通ったという歴史ある道です
越前福井や加賀百万石の殿様も参勤交代でこの道を通り、
また人々が商いをしながら行きかうにぎわいのある
街道でもありました・・・

前回までの様子はここからどうぞ

今回のコース・・・春照宿~小田(やないだ)~井之口~
相樸庭(すまいにわ)~今庄~野村(間宿)

春照宿・本陣跡
立派な料理屋があったり、かつての宿場の面影が残る
街道筋ですが・・・新しく道が出来たり、往来していた橋が
なくなったりで行きつ戻りつをしながら鍵曲がりになった
街道を進みます・・・

八幡神社
5年ごとに行われる八幡神社の秋祭りは奴振りが勇壮に神社までを
練り歩き、境内では数十人の太鼓打ちが鉦(かね)やふくべ振りと
共に調子を揃えて踊り舞う珍しい祭りです・・・

白い伊吹山・姉川の河川敷には春の陽射しが・・・
でも・・・・
風は少し冷たい・・・です

さて これは・・・・・?



井之口分水

雪解け水が空の青と重なって素晴らしい


地元を経由した水を分水する農業水利施設で、円形の中央部より
水が噴き出す構造で上流の小田分水との水位差を
うまく利用したものです
なかなか見ることの出来ない珍しい円形は「より公平な水の分配」
を考えた結果で、細部の仕上げもとても丁寧にされて
水の分配をかなり意識して作られたものだそうです



・・・と歌いたくなるような情景が広がっています
この姉川には越前橋が架かっていたのですが・・・
長い時間の経過と共に朽ち、橋脚と橋げただけが当時の
面影を残しています・・・

ゆっくりと・・・ゆっくりと歩いて早春の風をいっぱいうけて・・・

足元にはふきのとうが・・・顔をだしています

ほんと

春はそこまでやってきています・・・

北国脇往還を歩く・・・①-2
2010年11月20日
あと少しで滋賀県へ入るところまで来ました・・・

石垣に大きなサボテンの実がなっています・・・
でもトゲがとても痛そう・・・

この辺りを過ぎる頃に問屋場跡・高札場跡があると聞いて
いるのですが見当たりません・・・
ちょうど、お家の中から出てこられた方にお尋ねすると民家の庭に
あったり今はもうなくなっていたり・・・と。
道沿いにないとなかなか見ることが難しいですね
最後の民家を過ぎると下り坂・・・藤古川の流れに合流
川に沿って歩きます・・・そして高架道路をくぐると・・・
じゃ~ん
滋賀県に入りました・・・
やったぁ~・・・
ところが・・・喜んでばかりいられないことが・・・
進むにつれ大変なことが発覚・・・
う~ん・・どうしょう???
藤古川を向こうに渡る橋がない・・・えっ!!うそっ!!
川の中を歩いて渡ることも出来ないし・・・
そんなこと無理無理・・・ですぅ~
さてさて上を見上げるとR365が走ってします・・・
えっ!! なんで最悪場面を想定するの?・・・

でもやらねば・・・先に進むことが出来ません・・・
と言うわけで・・・最悪場面を地でいくことに・・・
すご~い傾斜ののり面をよじ登ることに・・・
滑りそう・・・おっ~と・危な~・~い
ひやひやドキドキ
ところどころに生えている草につかまりながら・・・
上までいけるかなぁ~・・・怖い!!
やっとの思いでガードレールにたどりつき・・・
そして乗り越えることに・・・
恥ずかしいなんて言ってられない状況
必死です・・・・これを越えねば・・・
何とか無事道路に出ることが出来ましたが・・・
あとで思い出して・・いえいえ思い出しません・思い出せませ~ん
国道の信号は藤川と・・・・集落が近い
しばらく歩き、右手の上り坂は藤川宿へ・・・
「シゲドウ坂」は殆どひと通りはなく・・・
立派な建物だけが堂々と見えてきます・・・

本陣林家

白壁がまぶしい酒屋さんの土蔵
そろそろお昼前・・・少し進むと白山神社
ここで昼食をすることに・・・

青空がとてもすがすがしくて気持ちいい、
ほおばるおにぎりと味噌汁の美味しいこと・・・

犬の散歩をする人を見かけただけで広い神社はケヤキの巨木・杉の巨木が・・・

鳥居に向って右に杉の巨木・・・
だとすると左のこの伐採された巨木はスギ??
枯れた巨木のあとに幼木が・・・
それにしても周囲が5m以上ありそう・・・

なにアザミかな?
白山神社を過ぎると藤川分校跡があり、「天狗の大杉」と呼ばれている
木がある・・・ここからは山道にさしかかり、薄暗い林を過ぎるとあたりは
「闇坂」とよばれ、昔はさぞうっそうと繁げり、細く見え隠れする道が
続いていたのであろう・・・
ここを過ぎると寺林の集落・・・
右手に屋根の大きな光了寺・八幡神社・上平寺集落を見ながら
道路をよこぎり、林へと道が続く・・・が
道を間違えているような? 近くで立ち話をしていた地元の方に
尋ねると・・・予定の道を少し行き過ぎたようで少し戻り、薮の中へと・・・
その入口にお地蔵様が・・・

立派なお堂の中に寄り添って人々を見守るお地蔵様軍団
お花がきれいに飾られて人々の信仰の厚さが・・・
徐々に道は細くなり、薮が深くなってきたので道を間違えたかと・・・
でも大丈夫・・・そのまま深くなった薮を抜け、広域農道に・・・
そしてここを1km進んでから左手に曲がるはずだったのに・・・
どうも間違えて早く曲がってしまったよう・・・
少し様子が違うと思いながら針葉樹の林道を歩いていると合流点・・・・・
どうもこの道を通ってくるはずだったよう・・・・??
このまま進んで行くと・・・あったぁ~

飛脚の水
街道を走り通った飛脚の人達もここで休憩をとったんでしょうか?

飛脚の水の横にはお地蔵様がひっそりと・・・
この辺りは名水で有名な「泉神社」がある大清水集落の北にある
神戸(ごうど)と呼ばれる地域です
広域農道をまっすぐ歩いていると弥高いも園のジャンボさつまいもの
看板にびっくり・・・
迫ってくるほどの伊吹山を右手に大きく見ながら・・・
弥高川の橋を渡らず、左に折れて右手の小さな橋を
渡ると・・・観音堂跡に建つ芭蕉の大きな碑が目につく・・・
ここは野頭の集落です


松尾芭蕉もこの道を歩いて全国行脚をしていたのかと思うと・・・
ちょっと感慨深いものがあります・・・寒い時期だったのですね
ここまで歩いてくるとあと少しで今日の目的地「伊吹薬草の里」
予定よりも随分早く完歩・・・
ほっと一息お茶タイム・・・”抹茶コーヒー”は最高

・・・随分長くなりました・・・
最後までご覧いただきまして有難うございました・・・
次回は来春の予定です・・・

石垣に大きなサボテンの実がなっています・・・

でもトゲがとても痛そう・・・


この辺りを過ぎる頃に問屋場跡・高札場跡があると聞いて
いるのですが見当たりません・・・

ちょうど、お家の中から出てこられた方にお尋ねすると民家の庭に
あったり今はもうなくなっていたり・・・と。
道沿いにないとなかなか見ることが難しいですね
最後の民家を過ぎると下り坂・・・藤古川の流れに合流
川に沿って歩きます・・・そして高架道路をくぐると・・・
じゃ~ん

滋賀県に入りました・・・

やったぁ~・・・

ところが・・・喜んでばかりいられないことが・・・
進むにつれ大変なことが発覚・・・
う~ん・・どうしょう???
藤古川を向こうに渡る橋がない・・・えっ!!うそっ!!

川の中を歩いて渡ることも出来ないし・・・

そんなこと無理無理・・・ですぅ~

さてさて上を見上げるとR365が走ってします・・・
えっ!! なんで最悪場面を想定するの?・・・


でもやらねば・・・先に進むことが出来ません・・・

と言うわけで・・・最悪場面を地でいくことに・・・

すご~い傾斜ののり面をよじ登ることに・・・

滑りそう・・・おっ~と・危な~・~い
ひやひやドキドキ


上までいけるかなぁ~・・・怖い!!
やっとの思いでガードレールにたどりつき・・・

そして乗り越えることに・・・
恥ずかしいなんて言ってられない状況

必死です・・・・これを越えねば・・・

何とか無事道路に出ることが出来ましたが・・・
あとで思い出して・・いえいえ思い出しません・思い出せませ~ん

国道の信号は藤川と・・・・集落が近い
しばらく歩き、右手の上り坂は藤川宿へ・・・
「シゲドウ坂」は殆どひと通りはなく・・・
立派な建物だけが堂々と見えてきます・・・
本陣林家
白壁がまぶしい酒屋さんの土蔵
そろそろお昼前・・・少し進むと白山神社
ここで昼食をすることに・・・


青空がとてもすがすがしくて気持ちいい、
ほおばるおにぎりと味噌汁の美味しいこと・・・
犬の散歩をする人を見かけただけで広い神社はケヤキの巨木・杉の巨木が・・・

鳥居に向って右に杉の巨木・・・
だとすると左のこの伐採された巨木はスギ??
枯れた巨木のあとに幼木が・・・
それにしても周囲が5m以上ありそう・・・

なにアザミかな?
白山神社を過ぎると藤川分校跡があり、「天狗の大杉」と呼ばれている
木がある・・・ここからは山道にさしかかり、薄暗い林を過ぎるとあたりは
「闇坂」とよばれ、昔はさぞうっそうと繁げり、細く見え隠れする道が
続いていたのであろう・・・
ここを過ぎると寺林の集落・・・
右手に屋根の大きな光了寺・八幡神社・上平寺集落を見ながら
道路をよこぎり、林へと道が続く・・・が
道を間違えているような? 近くで立ち話をしていた地元の方に
尋ねると・・・予定の道を少し行き過ぎたようで少し戻り、薮の中へと・・・
その入口にお地蔵様が・・・
立派なお堂の中に寄り添って人々を見守るお地蔵様軍団
お花がきれいに飾られて人々の信仰の厚さが・・・
徐々に道は細くなり、薮が深くなってきたので道を間違えたかと・・・
でも大丈夫・・・そのまま深くなった薮を抜け、広域農道に・・・
そしてここを1km進んでから左手に曲がるはずだったのに・・・
どうも間違えて早く曲がってしまったよう・・・
少し様子が違うと思いながら針葉樹の林道を歩いていると合流点・・・・・
どうもこの道を通ってくるはずだったよう・・・・??
このまま進んで行くと・・・あったぁ~

飛脚の水
街道を走り通った飛脚の人達もここで休憩をとったんでしょうか?
飛脚の水の横にはお地蔵様がひっそりと・・・
この辺りは名水で有名な「泉神社」がある大清水集落の北にある
神戸(ごうど)と呼ばれる地域です
広域農道をまっすぐ歩いていると弥高いも園のジャンボさつまいもの
看板にびっくり・・・

迫ってくるほどの伊吹山を右手に大きく見ながら・・・
弥高川の橋を渡らず、左に折れて右手の小さな橋を
渡ると・・・観音堂跡に建つ芭蕉の大きな碑が目につく・・・
ここは野頭の集落です
松尾芭蕉もこの道を歩いて全国行脚をしていたのかと思うと・・・
ちょっと感慨深いものがあります・・・寒い時期だったのですね
ここまで歩いてくるとあと少しで今日の目的地「伊吹薬草の里」
予定よりも随分早く完歩・・・


ほっと一息お茶タイム・・・”抹茶コーヒー”は最高



最後までご覧いただきまして有難うございました・・・

次回は来春の予定です・・・