不思議なもの・・・②
2010年12月31日
次にやって来た不思議なもの・・・・は
アピオス・・・
こんな不思議な名前の植物を聞いたことがありますか・・・
インディアンのスタミナ源と言われるマメの仲間の食べ物です・・・
びっくりするのは・・・栄養価が非常に高いところ
ジャガイモの30倍のカルシュウム・鉄分は4倍・エネルギーは2.5倍
サツマイモの3倍の食物繊維があり・・・・
イモには本来ないビタミンEも含まれているとか・・・


形もとってもユニークですね・・・
発芽後つるが延び始め・・・7月頃には葛のような薄紫の花が咲き
スミレのような芳香があるので摘み取って乾燥させると
お茶としても利用出来るとか・・・
私が食したこれを使った郷土料理・・・
アピオスをすりおろしたものと雑穀の一種のタカキビ・
トーフを混ぜて油で揚げたもの・・・
初めてのお味体験・・・とても説明が難しい味??
ゆっくりとかみしめながら味わうとおいしい・・・
何かのご縁でやってきた アピオス ・・・
これも来年植えてみたいと思います・・・・
今年もいよいよおしまいですね・・・
少し寂しい気がきますが・・・・
でもでも新しい年に夢と希望を持って・・・





今年も沢山の訪問・コメントをいただきまして有難うございました・・・
ウサギ年が皆様にとって飛躍の年でありますように・・・
来年もどうぞ宜しくお願いいたします・・・
アピオス・・・
こんな不思議な名前の植物を聞いたことがありますか・・・

インディアンのスタミナ源と言われるマメの仲間の食べ物です・・・
びっくりするのは・・・栄養価が非常に高いところ
ジャガイモの30倍のカルシュウム・鉄分は4倍・エネルギーは2.5倍
サツマイモの3倍の食物繊維があり・・・・
イモには本来ないビタミンEも含まれているとか・・・


形もとってもユニークですね・・・

発芽後つるが延び始め・・・7月頃には葛のような薄紫の花が咲き
スミレのような芳香があるので摘み取って乾燥させると
お茶としても利用出来るとか・・・

私が食したこれを使った郷土料理・・・
アピオスをすりおろしたものと雑穀の一種のタカキビ・
トーフを混ぜて油で揚げたもの・・・
初めてのお味体験・・・とても説明が難しい味??
ゆっくりとかみしめながら味わうとおいしい・・・
何かのご縁でやってきた アピオス ・・・
これも来年植えてみたいと思います・・・・

今年もいよいよおしまいですね・・・
少し寂しい気がきますが・・・・
でもでも新しい年に夢と希望を持って・・・






今年も沢山の訪問・コメントをいただきまして有難うございました・・・

ウサギ年が皆様にとって飛躍の年でありますように・・・

来年もどうぞ宜しくお願いいたします・・・

不思議なもの・・・①
2010年12月30日
最近私の手元にやってきた不思議なものたち・・・
一つ目は 「宇宙いも」 えっ!!
今年は”はやぶさ”が私達に沢山の勇気・希望をくれましたが・・・
そんな宇宙の名前がついたおもしろいおいも・・・
東南アジア原産のヤマノイモの仲間・・・
本名は エアーポテト
ヤマノイモですからムカゴが沢山できますが・・・
この宇宙いも・じょうずに育てると赤ちゃんの頭ぐらいの巨大なムカゴになるとか・・・
つるが延びたところに出来るムカゴはまるで宇宙にういた隕石のよう・・・

地中にはピンポン玉からソフトボールぐらいの球形の芋が出来、
とろろとして血糖値を下げる効果もあり・・・
地上のおおきなムカゴは炊き込みご飯や汁物に出来、まさに一挙両得!!
この宇宙ポテト・・・市販されています
興味のある方はどうぞお試し下さい・・・
来年、これを植えてみて実験?をすることに・・・します
一つ目は 「宇宙いも」 えっ!!
今年は”はやぶさ”が私達に沢山の勇気・希望をくれましたが・・・
そんな宇宙の名前がついたおもしろいおいも・・・
東南アジア原産のヤマノイモの仲間・・・
本名は エアーポテト
ヤマノイモですからムカゴが沢山できますが・・・
この宇宙いも・じょうずに育てると赤ちゃんの頭ぐらいの巨大なムカゴになるとか・・・

つるが延びたところに出来るムカゴはまるで宇宙にういた隕石のよう・・・
地中にはピンポン玉からソフトボールぐらいの球形の芋が出来、
とろろとして血糖値を下げる効果もあり・・・
地上のおおきなムカゴは炊き込みご飯や汁物に出来、まさに一挙両得!!
この宇宙ポテト・・・市販されています
興味のある方はどうぞお試し下さい・・・

来年、これを植えてみて実験?をすることに・・・します

金勝寺~旧和中散・・・③
2010年12月29日
さてさて和中散本舗の別の顔
にびっくりです・・・
和中散本舗はその後、隣に家屋を増築して「梅の木小休み本陣」を作ります
②でもUPしましたように草津と石部の中間にあたるので天皇・公卿・大名
が少休憩するところとなり、「小休み本陣」と呼ばれるようになります・・・
それは1652年頃・・・のこと
街道に沿う入口は切り妻造りの四脚門で中に入ると切妻造りのひさし付
玄関は千鳥破風と呼ばれ欄間は二重(内側と外側の模様が違う)
になっていてその彫刻は素晴らしく・感動・・・

玄関広間10畳・次の間6畳.8畳(床、棚付) 上段の間は10畳
書院窓・床・棚があってお屋敷です
襖絵は曽我蕭(ソウ)白のものですが現在は栗東歴史民俗博物館にて保管
* 曽我蕭白 1730年生まれ 濃淡の水墨画と得意とした画家
そのほか長谷川ろせつなど何人かの画家による襖絵・各部屋の欄間の
細かい彫刻には目を見張るばかりの感動です・・・

明治天皇が江戸へ行き来する途上、ここで休憩された上段之間が
玉座となり、また庭園(小堀遠州作)を藺(い)草履にて楽しまれたという
・・・い草履や桐火桶がいまも家宝として残されています・・・
計三度ここにて休憩されたようです
幕末にはドイツのシーボルト(植物学者)も立ち寄り、和中散やもぐさなど
に興味を持ち、参考資料として持帰ったと言われています

江戸初期に作られた大角氏庭園(平成13年国指定)
「日向山」(写真左奥)を借景に奇石・奇樹などを見ることが出来る
枯山水の素晴らしい庭園で春にはサツキの華やかさがお庭を
いろどるそうです・・・

天皇・公卿・大名そして有名無名の画家・・・など多くの人達が
往来したこの地が賑わいをみせていた街道が想像出来るくらい
いろいろなものをみせていただきました・・・

和中散本舗・お屋敷・庭園・・・・と
時間をかけてもっともっと見ていたい・・・
とても貴重な資料や文化財にふれることが出来た時間でした・・・


和中散本舗はその後、隣に家屋を増築して「梅の木小休み本陣」を作ります
②でもUPしましたように草津と石部の中間にあたるので天皇・公卿・大名
が少休憩するところとなり、「小休み本陣」と呼ばれるようになります・・・
それは1652年頃・・・のこと
街道に沿う入口は切り妻造りの四脚門で中に入ると切妻造りのひさし付
玄関は千鳥破風と呼ばれ欄間は二重(内側と外側の模様が違う)
になっていてその彫刻は素晴らしく・感動・・・

玄関広間10畳・次の間6畳.8畳(床、棚付) 上段の間は10畳
書院窓・床・棚があってお屋敷です
襖絵は曽我蕭(ソウ)白のものですが現在は栗東歴史民俗博物館にて保管
* 曽我蕭白 1730年生まれ 濃淡の水墨画と得意とした画家
そのほか長谷川ろせつなど何人かの画家による襖絵・各部屋の欄間の
細かい彫刻には目を見張るばかりの感動です・・・


明治天皇が江戸へ行き来する途上、ここで休憩された上段之間が
玉座となり、また庭園(小堀遠州作)を藺(い)草履にて楽しまれたという
・・・い草履や桐火桶がいまも家宝として残されています・・・
計三度ここにて休憩されたようです
幕末にはドイツのシーボルト(植物学者)も立ち寄り、和中散やもぐさなど
に興味を持ち、参考資料として持帰ったと言われています
江戸初期に作られた大角氏庭園(平成13年国指定)
「日向山」(写真左奥)を借景に奇石・奇樹などを見ることが出来る
枯山水の素晴らしい庭園で春にはサツキの華やかさがお庭を
いろどるそうです・・・
天皇・公卿・大名そして有名無名の画家・・・など多くの人達が
往来したこの地が賑わいをみせていた街道が想像出来るくらい
いろいろなものをみせていただきました・・・



時間をかけてもっともっと見ていたい・・・
とても貴重な資料や文化財にふれることが出来た時間でした・・・


金勝寺~旧和中散・・・②
2010年12月25日
旧和中散本舗はブログ・友のパルさんから
先日UPしました「吹屋ふるさと村」でのベンガラを作る
過程で使用する「巨大歯車によく似たものがありますよ・・・
」
と、教えていただき早速出かけるみることに・・・
栗東市六地蔵は旧東海道の石部宿と草津宿の中間に位置し、
古くから繁栄していたところでもあります・・・
かつて、ここには大きな梅の樹があり、梅ノ木村と呼ばれていたと・・・

大角家は京都の名医とのご縁で和中散他の薬を売る機会を得、
徳川家康が近江野洲で腹痛を訴えた折、服し快癒したことが
広く世間にその名が知られるきっかけとなります・・・
江戸時代には同業者が5軒あり、本家を是斎(ぜさい)とされ
大角家がそれにあたります・・・

木製製薬機
直径4mの大きな車輪は樫の樹で作られていて、その中に2人
入り歯車を回すと連動している石臼が回転し、薬草が粉末に
なる仕組みです・・・(車輪は写真では奥のほうに・・・?)
あらかじめ薬草は手で小さく切っておくのですが・・・
その器械を薬研(やけん)と呼ぶそうです・・・
大きな歯車は釘を1本も使われることがなく、くさびのように
組み合わせて作られているのにびっくりです・・・
そしていろいろと使う場面で改良を重ねていく技術を持つ
人達がすご~い

当時の看板 大き~い


薬を計ったいたてんびんばかり

旅行く人をこの茶釜のお茶でふるまったと言う・・・
古いものを大切に維持・保存することは大変だと聞きましたが・・・
いつまでもその雰囲気をも後世に伝えていって欲しいと思いました
当時の面影が残る街道は・・・・・
旅人が行きかう情景が浮かぶ
情緒ある町並みでした・・・
先日UPしました「吹屋ふるさと村」でのベンガラを作る
過程で使用する「巨大歯車によく似たものがありますよ・・・

と、教えていただき早速出かけるみることに・・・
栗東市六地蔵は旧東海道の石部宿と草津宿の中間に位置し、
古くから繁栄していたところでもあります・・・

かつて、ここには大きな梅の樹があり、梅ノ木村と呼ばれていたと・・・
大角家は京都の名医とのご縁で和中散他の薬を売る機会を得、
徳川家康が近江野洲で腹痛を訴えた折、服し快癒したことが
広く世間にその名が知られるきっかけとなります・・・
江戸時代には同業者が5軒あり、本家を是斎(ぜさい)とされ
大角家がそれにあたります・・・
木製製薬機
直径4mの大きな車輪は樫の樹で作られていて、その中に2人
入り歯車を回すと連動している石臼が回転し、薬草が粉末に
なる仕組みです・・・(車輪は写真では奥のほうに・・・?)
あらかじめ薬草は手で小さく切っておくのですが・・・

その器械を薬研(やけん)と呼ぶそうです・・・
大きな歯車は釘を1本も使われることがなく、くさびのように
組み合わせて作られているのにびっくりです・・・
そしていろいろと使う場面で改良を重ねていく技術を持つ
人達がすご~い

当時の看板 大き~い
薬を計ったいたてんびんばかり
旅行く人をこの茶釜のお茶でふるまったと言う・・・
古いものを大切に維持・保存することは大変だと聞きましたが・・・
いつまでもその雰囲気をも後世に伝えていって欲しいと思いました

旅人が行きかう情景が浮かぶ
情緒ある町並みでした・・・

金勝寺~旧和中散・・・①
2010年12月24日
遠来の友人を案内して・・・・・
金勝寺へ・・・
いつもはお寺境内・周辺を散策したり・・・
なんですが・・・
今回は重要文化財などの仏像を拝観させて
いただける機会があって・・・


金勝山・金勝寺仁王門
金勝寺・・・その歴史は古く733年、平城京の東北鬼門を守る祈願寺として
東大寺の初代別当の良弁僧正が開基・・・
833年僧侶を育成する官寺(定額寺)となり、金勝山・金勝寺の
名がすでに続日本書紀には記されています
その後宇多天皇による国費支給の学業僧を専修する許可がおり、
徐々に国家鎮護を祈願する神官寺的性格を備えた寺院へと
発展していきます・・・
1185年失火がありましたが時の住職により再興され、大講堂・
常行堂・法華堂・二月堂が建立されます・・・・・が
再びの1549年大火により焼失、後奈良天皇の指示により
再建の請願を徳川家康にしますが願いかなわず・・・
現在の本堂は約400年前の仮堂であり大講堂跡・三重塔跡が
当時の面影を寂しく語っています・・・
さてさて・・・本堂(仮堂)のご開帳では・・・
本尊の木造釈迦如来坐像(十二世紀・平安時代)は仏師定朝
の檜材の寄木造りで平安後期の穏やかな作風が表現されています・・・
二月堂には木造軍茶利明王立像(九世紀・平安時代)が安置
されていて頭髪が逆立ち、上歯列で下唇を噛み睨みつけた目の巨像で
檜のみで彫られています・・・
昭和に新しく建立された虚空蔵堂には木造虚空蔵菩薩半跏像
(十一世紀・平安時代)が・・・知恵を授かる仏様でもあります
両脇には木造毘沙門天立像(十世紀・平安時代)と
木造地蔵菩薩像(十世紀・平安時代)が安置されています・・・
いずれも国の重要文化財とされ・・・
他にも県・市の重要文化財が多数あります
幽玄な山中・金勝寺での静寂は厳しい冬に向って
ひっそりと眠りにつくように感じられました・・・
それは・・・
はるか悠久の時へ戻る時間でもあるのかも知れません・・・

金勝寺へ・・・
いつもはお寺境内・周辺を散策したり・・・
なんですが・・・
今回は重要文化財などの仏像を拝観させて
いただける機会があって・・・


金勝山・金勝寺仁王門
金勝寺・・・その歴史は古く733年、平城京の東北鬼門を守る祈願寺として
東大寺の初代別当の良弁僧正が開基・・・
833年僧侶を育成する官寺(定額寺)となり、金勝山・金勝寺の
名がすでに続日本書紀には記されています

その後宇多天皇による国費支給の学業僧を専修する許可がおり、
徐々に国家鎮護を祈願する神官寺的性格を備えた寺院へと
発展していきます・・・
1185年失火がありましたが時の住職により再興され、大講堂・
常行堂・法華堂・二月堂が建立されます・・・・・が
再びの1549年大火により焼失、後奈良天皇の指示により
再建の請願を徳川家康にしますが願いかなわず・・・
現在の本堂は約400年前の仮堂であり大講堂跡・三重塔跡が
当時の面影を寂しく語っています・・・
さてさて・・・本堂(仮堂)のご開帳では・・・
本尊の木造釈迦如来坐像(十二世紀・平安時代)は仏師定朝
の檜材の寄木造りで平安後期の穏やかな作風が表現されています・・・
二月堂には木造軍茶利明王立像(九世紀・平安時代)が安置
されていて頭髪が逆立ち、上歯列で下唇を噛み睨みつけた目の巨像で
檜のみで彫られています・・・

昭和に新しく建立された虚空蔵堂には木造虚空蔵菩薩半跏像
(十一世紀・平安時代)が・・・知恵を授かる仏様でもあります
両脇には木造毘沙門天立像(十世紀・平安時代)と
木造地蔵菩薩像(十世紀・平安時代)が安置されています・・・
いずれも国の重要文化財とされ・・・
他にも県・市の重要文化財が多数あります
幽玄な山中・金勝寺での静寂は厳しい冬に向って
ひっそりと眠りにつくように感じられました・・・
それは・・・
はるか悠久の時へ戻る時間でもあるのかも知れません・・・