絹織物を訊ねて・・・
2019年09月16日
久々のupです
随分以前から絹織物の町と言われる城端を訊ねてみたいと思っていました
今回、やっと夢がかないました!!
城端(じょうはな)は富山県の五箇山の北にある絹織物で栄えてきた町です
そんな中、今も昔の機械を維持、伝統を守りながら
新しい感性で取り組んでおられる若いご夫婦がおられます
見学をお願いしましたところ、こころよく承諾していただき
楽しみにお邪魔したのは・・・・・
「株式会社 松井機業」 さんです
明治10年創業以来、「しけ絹」の製造販売を行い
現在6代目と言う老舗の会社です
*・・普通、一頭の蚕が一つの繭を作り、
それが生糸の元となるのは皆さんもご存知のところです・・・が
まれに二頭の蚕で一つの繭をつくることがあるのだそうです
通常のものよりも大きく1.5倍くらいあるのだとの・・・
その繭を「玉繭」と呼ぶのだそうです

玉糸のできるまで・・・

バリバリと音を立てて桑の葉を食べる蚕

玉繭 手前は蚕のふん
蚕のふんは食べられる
と言うことで人生初 !!

恐る恐る・食べてみましたが桑の葉だけなので いやな感じはしませんでした
それよりも和菓子屋さんがこのふん使ったッキーを販売されているとか・・・
二度びっくり
でも…栄養はあるかも??
二頭が吐いた玉糸と呼ばれる糸が複雑に絡み合い
人の手によってもおよそ表現できない独特の節のある
優しい風合いをかもし出します
それこそがしけ絹の特徴
その玉糸をヨコ糸に使い、織り上げたのが「しけ絹織物」と呼ばれる織物です
長い年月、現役で織り続けている機械はとても貫禄があり
リズミカルでありながらも、力強い音を工場内に響かせます・・・

貴重な機械での織り

今まで活躍してきた貴重な機械なども保管されています
丁寧な説明はとてもわかりやすく
夢を持ってお仕事をされているお二人はとても輝いていました
今後を注目!! とても楽しみです


随分以前から絹織物の町と言われる城端を訊ねてみたいと思っていました
今回、やっと夢がかないました!!
城端(じょうはな)は富山県の五箇山の北にある絹織物で栄えてきた町です
そんな中、今も昔の機械を維持、伝統を守りながら
新しい感性で取り組んでおられる若いご夫婦がおられます
見学をお願いしましたところ、こころよく承諾していただき
楽しみにお邪魔したのは・・・・・
「株式会社 松井機業」 さんです
明治10年創業以来、「しけ絹」の製造販売を行い
現在6代目と言う老舗の会社です
*・・普通、一頭の蚕が一つの繭を作り、
それが生糸の元となるのは皆さんもご存知のところです・・・が
まれに二頭の蚕で一つの繭をつくることがあるのだそうです
通常のものよりも大きく1.5倍くらいあるのだとの・・・
その繭を「玉繭」と呼ぶのだそうです

玉糸のできるまで・・・

バリバリと音を立てて桑の葉を食べる蚕

玉繭 手前は蚕のふん
蚕のふんは食べられる



恐る恐る・食べてみましたが桑の葉だけなので いやな感じはしませんでした
それよりも和菓子屋さんがこのふん使ったッキーを販売されているとか・・・
二度びっくり


でも…栄養はあるかも??
二頭が吐いた玉糸と呼ばれる糸が複雑に絡み合い
人の手によってもおよそ表現できない独特の節のある
優しい風合いをかもし出します
それこそがしけ絹の特徴
その玉糸をヨコ糸に使い、織り上げたのが「しけ絹織物」と呼ばれる織物です
長い年月、現役で織り続けている機械はとても貫禄があり
リズミカルでありながらも、力強い音を工場内に響かせます・・・

貴重な機械での織り

今まで活躍してきた貴重な機械なども保管されています
丁寧な説明はとてもわかりやすく
夢を持ってお仕事をされているお二人はとても輝いていました

今後を注目!! とても楽しみです
大峰山系・・・へ ②
2015年08月16日
大普賢岳頂上で少し休憩をとった後、南へ下ります・・・
笹原でおおわれた水太覗(みずふとのぞき)
覗だけあって笹原の下は絶壁です

シャクナゲが茂る弥勒岳を捲きながら下ると・・・
鎖がまたまた出現
「内侍落し」と呼ばれる岩鼻に出ます
さらに進むと苔むす巨岩が点在する「稚児泊」・・・
ここから少し登ると

国見岳 P1655
快晴の歩きですが樹木が繁る中も歩いたりで炎天下を歩くような暑さはないのですが
結構、汗をかいているので水分補給は小刻みに・・・


岩場が現われると梯子・鎖場が


ここを登ると尾根の西面・ 本当に狭い七曜岳 P1584 に・・・

少し進み広い場所を見つけてお昼に・・・

景色を眺めながらほっと一息
ここまででやっと行程の半分少し・・・
でもまだ先が長いのでゆっくりはしていられません
七曜岳から南下すること少しで奥駈道とわかれて左折
露岩に木の根が這う急峻な尾根を下り

梯子・巨岩を縫って滑りやすいジグザグ道を谷間まで下ると
無双洞に出るはずなのに大きな岩に赤いペンキでここを登るの案内が・・・
どう考えてもかなり無理
赤い矢印以外を探せばよかったのですが・・・
これを信じて無理なことを承知でよじ登ることに
下がる鎖2本を両手にそれぞれ持って
岩の出っ張りに足をかけるのですが・・・
滑ってうまく足がかかりません
何度か繰り返してやっと岩の上に・・・
更に梯子を2回登り、這うように急斜面を登ると道らしきに合流
えっ!
今の岩には登らなくて良かったの???

カメラを出す余裕などありません


流れ落ちる水の音が谷間に響く水簾の滝

近寄ると水しぶきが体に気持ちいい
近くの底なし井戸まで少し登ると水平道に出ます
ここからはアップダウンはあるものの大きな木の根を何度も越えて
山道を進むとやがて岩本新道と合流

カラマツソウ
ここまで来るとコースも終盤です



不安を抱えながらの歩きでしたがよく歩きましたぁ・・・
無事、怪我もなく戻ってくることが出来て・・・
無理をしないで歩いたこともあり8時間半の歩きでした
四国区切り歩き遍路(継続中)となぜか近いような想いは
どちらも修行の道であること
いつもの山歩きと違い貴重ないい時間でした
ほっ!
笹原でおおわれた水太覗(みずふとのぞき)
覗だけあって笹原の下は絶壁です

シャクナゲが茂る弥勒岳を捲きながら下ると・・・
鎖がまたまた出現
「内侍落し」と呼ばれる岩鼻に出ます
さらに進むと苔むす巨岩が点在する「稚児泊」・・・
ここから少し登ると


国見岳 P1655

快晴の歩きですが樹木が繁る中も歩いたりで炎天下を歩くような暑さはないのですが
結構、汗をかいているので水分補給は小刻みに・・・


岩場が現われると梯子・鎖場が



ここを登ると尾根の西面・ 本当に狭い七曜岳 P1584 に・・・

少し進み広い場所を見つけてお昼に・・・


景色を眺めながらほっと一息
ここまででやっと行程の半分少し・・・
でもまだ先が長いのでゆっくりはしていられません
七曜岳から南下すること少しで奥駈道とわかれて左折

露岩に木の根が這う急峻な尾根を下り

梯子・巨岩を縫って滑りやすいジグザグ道を谷間まで下ると

無双洞に出るはずなのに大きな岩に赤いペンキでここを登るの案内が・・・
どう考えてもかなり無理

赤い矢印以外を探せばよかったのですが・・・
これを信じて無理なことを承知でよじ登ることに

下がる鎖2本を両手にそれぞれ持って
岩の出っ張りに足をかけるのですが・・・
滑ってうまく足がかかりません

何度か繰り返してやっと岩の上に・・・
更に梯子を2回登り、這うように急斜面を登ると道らしきに合流
えっ!
今の岩には登らなくて良かったの???

カメラを出す余裕などありません



流れ落ちる水の音が谷間に響く水簾の滝



近寄ると水しぶきが体に気持ちいい

近くの底なし井戸まで少し登ると水平道に出ます
ここからはアップダウンはあるものの大きな木の根を何度も越えて
山道を進むとやがて岩本新道と合流

カラマツソウ
ここまで来るとコースも終盤です



不安を抱えながらの歩きでしたがよく歩きましたぁ・・・
無事、怪我もなく戻ってくることが出来て・・・

無理をしないで歩いたこともあり8時間半の歩きでした
四国区切り歩き遍路(継続中)となぜか近いような想いは
どちらも修行の道であること
いつもの山歩きと違い貴重ないい時間でした
ほっ!
大峰山系・・・へ ①
2015年08月14日
一年半ぶりのブログです・・・
その間、何度もご訪問いただきましたブロガ-の皆様
やっと長~い冬眠から目覚めることになりました・・・、

山歩きを始めて間もない頃、
誘われるままに出かけた大峰山系の大普賢岳への道は
修行道と言われるだけあって初めて経験するような
鎖場、鉄梯子の連続する山道でした・・・
一度大けがをしてからは危ない山登りではなくて楽しむ山歩きを
しようと・・・もう再度来ることはないと思っていたのですが・・・
あの時の気持ちと今がどのように変わったのか
確認の意味も含め、出かけてみることにしました
しかも今回は大普賢岳までではなく
七曜岳~無双洞~底なし井戸~和佐又ヒュッテへの周回コ-スです
いろいろ調べてみると行程は早くて7時間半ぐらい
岩場も多く危険度全開なのでゆっくりと歩くことになりそうです
和佐又ヒュッテで前泊をして・・・
翌早朝、快晴の中出発


大台が原を背にブナとヒメシャラの巨木の森へ入ります
道は露出の尾根に変わり・・・
更にすすむと先人達が修行をした苔むした窟がいくつもあらわれます

指弾の窟


朝日の窟

笙の窟
圧巻するような岩に彫られた窟が次々に現れ・・・
鷲の窟を下り、沢を横断すると・・・露出の急坂
ただ救われるのは足元に咲く可愛いお花

ミヤマママコナ(ハマウツボ科)

写真では高低差がわからないですが・・・結構な高さです
それをクリアすると

一面笹原でおおわれた日本岳のコル1496m
ここから鉄梯子を3つ登りシャクナゲが茂るなかを歩き進むと
正面に大台が原があらわれ・・・
蕾のコウモリソウが何度も目に留まるなか
鉄梯子を幾度も進むと小普賢岳
ここからはガラガラの道を鞍部へ下り
登り返すと大普賢岳
奥駈道への弥山 八経ガ岳が見えてきます

大普賢岳 1780m
前回登ったのははここまででした
が・・・
違和感なく登ってくることが出来ました

さて、この先はまだ登ったことのないコ-ス
少し緊張感が走ります・・・
その間、何度もご訪問いただきましたブロガ-の皆様
やっと長~い冬眠から目覚めることになりました・・・、


山歩きを始めて間もない頃、
誘われるままに出かけた大峰山系の大普賢岳への道は
修行道と言われるだけあって初めて経験するような
鎖場、鉄梯子の連続する山道でした・・・
一度大けがをしてからは危ない山登りではなくて楽しむ山歩きを
しようと・・・もう再度来ることはないと思っていたのですが・・・
あの時の気持ちと今がどのように変わったのか
確認の意味も含め、出かけてみることにしました
しかも今回は大普賢岳までではなく
七曜岳~無双洞~底なし井戸~和佐又ヒュッテへの周回コ-スです
いろいろ調べてみると行程は早くて7時間半ぐらい
岩場も多く危険度全開なのでゆっくりと歩くことになりそうです
和佐又ヒュッテで前泊をして・・・
翌早朝、快晴の中出発


大台が原を背にブナとヒメシャラの巨木の森へ入ります
道は露出の尾根に変わり・・・
更にすすむと先人達が修行をした苔むした窟がいくつもあらわれます

指弾の窟


朝日の窟

笙の窟
圧巻するような岩に彫られた窟が次々に現れ・・・
鷲の窟を下り、沢を横断すると・・・露出の急坂

ただ救われるのは足元に咲く可愛いお花


ミヤマママコナ(ハマウツボ科)

写真では高低差がわからないですが・・・結構な高さです
それをクリアすると

一面笹原でおおわれた日本岳のコル1496m
ここから鉄梯子を3つ登りシャクナゲが茂るなかを歩き進むと
正面に大台が原があらわれ・・・

蕾のコウモリソウが何度も目に留まるなか
鉄梯子を幾度も進むと小普賢岳
ここからはガラガラの道を鞍部へ下り
登り返すと大普賢岳
奥駈道への弥山 八経ガ岳が見えてきます

大普賢岳 1780m
前回登ったのははここまででした
が・・・
違和感なく登ってくることが出来ました


さて、この先はまだ登ったことのないコ-ス
少し緊張感が走ります・・・

ミステリー旅行の行き先は・・・?③
2013年10月16日
旅行先ではいつも早起きしてご来光を見たり散歩をして
朝のひんやりした空気を楽しみます
今回は海からの日の出を楽しむことにしました
以前に「日の出を見るには30分ぐらい前からスタンバイして
日が昇る瞬間までの時間を待つのがいいのです」・・・と
聞いた記憶があります。

素晴らしい日の出を見ることが出来て感動です

ゆったり時間を楽しんだ神島をあとに
菅島行きへの船に
昨日と同じように結構ゆれます・・・


菅島・・・・・大山・サカデン山・ボシ山など200m級の山々が連なる
周囲13km(神島は3.9km)の島でその名の由来は不明
西行法師の歌にあるように漆黒の小石が敷き詰められたような
浜があり、第二次世界大戦までは伊勢神宮参道の玉砂利として
献納された歴史とロマンに満ちた島です
「菅島や 答志の小石 わけかへて 黒白まぜよ うらの浜風」
西行法師がこの地を詠んだ歌より
神島の3.4倍ぐらいの大きさの菅島では一部を散策することに・・・


毎年7月に黒・赤あわびのつがいの初捕りを競う>「しろんご祭り」が
行われるしろんご浜は一年を通じて禁漁区でこの祭りの日のみ
漁がゆるされます、 環境省が選定した「日本の音風景100選」
波の音を聞きながら登り道を歩いていくと眼下に美しい浜が広がります
そこは・・・くろんど浜
早速降りていくと
誰もいない素晴らしい海辺に波の音だけが・・・

心地いい響きが伝わってきます

いつまでも浸っていたい時間です
ゆっくりと風景や波の音を楽しんで・・・

菅島灯台
菅島灯台・・・この付近の海は江戸時代から重要な航路で したが
数多くの岩礁があり、遭難する船が絶えなかった為
かがり堂が作られました、このかがり堂が灯台の前身で
外国人技師により建築されました。明治6年のことです
現存するレンガ造りの洋式灯台としては、わが国最古の
ものだと言われています、 「日本の灯台50選」
平成20年 経済産業省 近代化産業遺産に認定されました

灯台に使用したレンガと同じものが
こんな形で残されています・・・

ハマアザミ(キク科)
素晴らしい風景・・・
精一杯に咲く花々・・・
由緒ある歴史・・・
風や波の音が心地いい・・・
いにしえの時から人々のいきいきした営みすべてが
現在につながっている日常・・・
想像を超えた離島巡りに乾杯
です
朝のひんやりした空気を楽しみます

今回は海からの日の出を楽しむことにしました

以前に「日の出を見るには30分ぐらい前からスタンバイして
日が昇る瞬間までの時間を待つのがいいのです」・・・と
聞いた記憶があります。

素晴らしい日の出を見ることが出来て感動です


ゆったり時間を楽しんだ神島をあとに
菅島行きへの船に

昨日と同じように結構ゆれます・・・


菅島・・・・・大山・サカデン山・ボシ山など200m級の山々が連なる
周囲13km(神島は3.9km)の島でその名の由来は不明
西行法師の歌にあるように漆黒の小石が敷き詰められたような
浜があり、第二次世界大戦までは伊勢神宮参道の玉砂利として
献納された歴史とロマンに満ちた島です
「菅島や 答志の小石 わけかへて 黒白まぜよ うらの浜風」
西行法師がこの地を詠んだ歌より
神島の3.4倍ぐらいの大きさの菅島では一部を散策することに・・・


毎年7月に黒・赤あわびのつがいの初捕りを競う>「しろんご祭り」が
行われるしろんご浜は一年を通じて禁漁区でこの祭りの日のみ
漁がゆるされます、 環境省が選定した「日本の音風景100選」
波の音を聞きながら登り道を歩いていくと眼下に美しい浜が広がります
そこは・・・くろんど浜
早速降りていくと
誰もいない素晴らしい海辺に波の音だけが・・・

心地いい響きが伝わってきます


いつまでも浸っていたい時間です
ゆっくりと風景や波の音を楽しんで・・・

菅島灯台
菅島灯台・・・この付近の海は江戸時代から重要な航路で したが
数多くの岩礁があり、遭難する船が絶えなかった為
かがり堂が作られました、このかがり堂が灯台の前身で
外国人技師により建築されました。明治6年のことです
現存するレンガ造りの洋式灯台としては、わが国最古の
ものだと言われています、 「日本の灯台50選」
平成20年 経済産業省 近代化産業遺産に認定されました

灯台に使用したレンガと同じものが
こんな形で残されています・・・

ハマアザミ(キク科)
素晴らしい風景・・・
精一杯に咲く花々・・・
由緒ある歴史・・・
風や波の音が心地いい・・・
いにしえの時から人々のいきいきした営みすべてが
現在につながっている日常・・・
想像を超えた離島巡りに乾杯

ミステリー旅行の行き先は・・・?②
2013年10月13日
海辺から灯明山の展望台まで足元は白い波が打ち寄せる
切り立った岸壁を見ながら登ってきました
ここは戦争中に試射弾を観察した場所で監的哨(しょう)跡

旧陸軍が伊良湖から撃つ大砲の砲射弾の着弾点を確認するための施設でした
コンクリート3階建ての建物で対岸の渥美半島・伊良湖岬~伊勢湾までもが
見渡せる眺めが抜群で「潮騒」のクライマックスの場所としても有名です
伊良湖水道は日本の三海門(阿波の鳴門・音戸の瀬戸)の一つと言われ
昔から海の難所と言われてきました

神島灯台 「日本の灯台50選」
明治43年にそれまでの石油灯から自家発電による白熱電球に代わり
7千カンテラの光を放つ電気灯に生まれ変わりました
ここは、9月下旬から10月上旬にかけて
サシバ(タカの一種)のワタリを観察出来るスポットでもあり
また飛来するアサギマダラをみることも出来ます

八代神社
214段の石段の登る高台にあって元旦の夜明けに
繰り広げられる奇祭ゲーター祭りが行われるところです
ゲーター祭り・・・祭りで使われる「アワ」は弁天山で伐採したグミの木を束ねて
直径2mほどの輪を作り、その上を白紙で包んで麻でまいたもので
日輪をかたどったものとされています。祭り当日の元旦未明には
男達が竹でアワを空高く持ち上げ、高く上がればあがるほど
その年は豊漁とされます。20~30分続いた後、アワはかつがれ
八代神社に奉納され、本殿前に立てかけられます。
豊穣を祈る祭り・太陽信仰の祭りとも言われる由緒ある伝統行事です
三重県の無形民俗文化財に指定されています
長い石段を下ると港のすぐ近くにでます
3時間ほどかけて島を一巡りしてきたことになります

港の風景
本当は鳥羽に戻ることも出来るのですが
島でのゆったり時間を楽しむことに・・・
離島では伊勢海老が一足早く解禁になるようなので
夕食には舟盛りをいただくことにしました・・・
新鮮な魚介類が見事に並べられています
そのお味の美味だったことは言うまでもありません

楽しい歩きをしておいしい食事をいただいて・・・
熟女たちのおしゃべりは夜更けまで続きました

次回はいよいよ菅島へ渡ります・・・
切り立った岸壁を見ながら登ってきました
ここは戦争中に試射弾を観察した場所で監的哨(しょう)跡

旧陸軍が伊良湖から撃つ大砲の砲射弾の着弾点を確認するための施設でした
コンクリート3階建ての建物で対岸の渥美半島・伊良湖岬~伊勢湾までもが
見渡せる眺めが抜群で「潮騒」のクライマックスの場所としても有名です
伊良湖水道は日本の三海門(阿波の鳴門・音戸の瀬戸)の一つと言われ
昔から海の難所と言われてきました

神島灯台 「日本の灯台50選」
明治43年にそれまでの石油灯から自家発電による白熱電球に代わり
7千カンテラの光を放つ電気灯に生まれ変わりました
ここは、9月下旬から10月上旬にかけて
サシバ(タカの一種)のワタリを観察出来るスポットでもあり
また飛来するアサギマダラをみることも出来ます

八代神社
214段の石段の登る高台にあって元旦の夜明けに
繰り広げられる奇祭ゲーター祭りが行われるところです
ゲーター祭り・・・祭りで使われる「アワ」は弁天山で伐採したグミの木を束ねて
直径2mほどの輪を作り、その上を白紙で包んで麻でまいたもので
日輪をかたどったものとされています。祭り当日の元旦未明には
男達が竹でアワを空高く持ち上げ、高く上がればあがるほど
その年は豊漁とされます。20~30分続いた後、アワはかつがれ
八代神社に奉納され、本殿前に立てかけられます。
豊穣を祈る祭り・太陽信仰の祭りとも言われる由緒ある伝統行事です
三重県の無形民俗文化財に指定されています
長い石段を下ると港のすぐ近くにでます
3時間ほどかけて島を一巡りしてきたことになります

港の風景
本当は鳥羽に戻ることも出来るのですが
島でのゆったり時間を楽しむことに・・・
離島では伊勢海老が一足早く解禁になるようなので
夕食には舟盛りをいただくことにしました・・・
新鮮な魚介類が見事に並べられています
そのお味の美味だったことは言うまでもありません

楽しい歩きをしておいしい食事をいただいて・・・




次回はいよいよ菅島へ渡ります・・・
