紅葉の小谷山・・・①-2
2010年11月26日
予定外のブログアップで続きが遅れてしまいました・・・
さてさて話を小谷山に戻しましょう・・・
先日の話は11/22付 のブログでご覧いただければありがたいです・・・
六坊跡からUP・DOWNがあって大嶽城跡に
たどり着きます・・・



← 大嶽城(おおづくじょう)跡
大嶽城跡は小谷山の最高地
標高495mにあって・・・
その規模はとても大きな砦で
あったことがわかっています・・・
大嶽城の北にある焼尾丸を守備
していた浅井氏の家臣が織田方に
寝返った為、落城したそうです
ここからははるか湖西の武奈ケ岳が見えて絶景が広がります

琵琶湖に浮かぶ竹生島にもその歴史が深く秘められているようで・・・
今日の竹生島は緑深くとても神秘な姿に見えます
”緑樹影沈んで 魚木に登る気色あり”
・・・と詠まれた
ここでお昼をとることに・・・

三角点
三角点を踏んだあとは下山なんですが・・・
予定の谷ルートを変更して尾根道ルートへ・・・

← 福寿丸跡
本丸とは違い、構造が
複雑になっているとか・・・
朝倉氏の援軍の折、
築いたと考えられて
います

山崎丸跡 →
福寿丸跡と同じように複雑な
構造になっていて、朝倉氏が
築いたと考えられていて
その名は武将山崎吉家から
とも伝えられています・・・
このコースは松枯れがひどく、とても痛々しいですが・・・
それでもやっと陽が当るようになった植物たちにとっては・・・
別天地・・・
・
午後出発してから1時間30分で下山出来ました・・・
このコースは出発してすぐが結構急降下ですが
途中では景色を楽しむことも出来ます・・・
下山地にはご神水があって・・・有り難かったですね
この日、登山口には地元の人達の車が多く止まっていました

小谷山登山道の整備に沢山でて下さっていたのです・・・
歩きやすいように、危なくないように・・・と
半端じゃない距離と広さです・・・
このようにしていただくお陰で私達は怪我もなく安心して
歩けるのですね!!
感謝・です・・・
時計を見るとまだ時間が早かったので・・・
小谷寺へ行くことに・・・
山際をあるいていると・・・

突然、薮から猿軍団が・・・おっ!! びっくり

沢山います・・・・・えさがないのかなぁ??
何故かカメラ目線でじっとしています・・・
じっと見るとかわいい・・・イケメン猿??

杉木立の参道の奥にひっそりとたたずむ如意輪山小谷寺
ここでも地元の人達がお寺の周りを整備しておられました・・・
ゆっくりとおしゃべりさせてもらい・・・
お寺の裏山に浅井長政のお墓があるとお聞きして
早速杉木立の中を登ることに・・・
ありましたぁ・・・
とても立派なお墓が・・・
悠久の時を経て・・・・・
こうして武将のお墓の前に立つことが
とても不思議な感じでした・・・

梵鐘
この梵鐘は江戸時代初期(1655年)の年号と願主他、作者である
蒲生・八日市釜座の大塚氏・藤原氏の名が記されています
八日市釜座は中世以来、伝統を有する近江の代表的な鋳物師集団
であったようです・・・
今年の春、根尾の薄墨サクラを見に出かけた折にも
とても立派なお寺があり彫刻が米原・上丹生の木彫集団の人達に
よって作られたと記されていましたが・・・
『その様子はここからどうぞ』
石工集団(穴太石積み)もあって近江には匠による集団がいろいろ
あったようですね!!
現在残っている建物は本堂と一部ですが・・・
普門印跡・円蔵院跡・明倉院跡・身性院跡などその当時は
多くの建物があり、繁栄していた様子がうかがわれます・・・
帰り道、JRに向う道すがら、振り返ると・・・
行く時にみた小谷山とはまた違う表情の小谷山が
迫って来るようでなんだかとても身近に思えました・・・

・・・最高のお天気に恵まれ、久しぶりに歴史の一面にふれ、
いろいろなことを知るいい歩きが出来ました・・・
長くなってしまいましたがご覧いただきまして有難うございました・・・

さてさて話を小谷山に戻しましょう・・・

先日の話は11/22付 のブログでご覧いただければありがたいです・・・
六坊跡からUP・DOWNがあって大嶽城跡に
たどり着きます・・・



← 大嶽城(おおづくじょう)跡
大嶽城跡は小谷山の最高地
標高495mにあって・・・
その規模はとても大きな砦で
あったことがわかっています・・・
大嶽城の北にある焼尾丸を守備
していた浅井氏の家臣が織田方に
寝返った為、落城したそうです
ここからははるか湖西の武奈ケ岳が見えて絶景が広がります


琵琶湖に浮かぶ竹生島にもその歴史が深く秘められているようで・・・
今日の竹生島は緑深くとても神秘な姿に見えます
”緑樹影沈んで 魚木に登る気色あり”
・・・と詠まれた
ここでお昼をとることに・・・



三角点
三角点を踏んだあとは下山なんですが・・・
予定の谷ルートを変更して尾根道ルートへ・・・
← 福寿丸跡
本丸とは違い、構造が
複雑になっているとか・・・
朝倉氏の援軍の折、
築いたと考えられて
います
山崎丸跡 →
福寿丸跡と同じように複雑な
構造になっていて、朝倉氏が
築いたと考えられていて
その名は武将山崎吉家から
とも伝えられています・・・
このコースは松枯れがひどく、とても痛々しいですが・・・
それでもやっと陽が当るようになった植物たちにとっては・・・
別天地・・・


午後出発してから1時間30分で下山出来ました・・・

このコースは出発してすぐが結構急降下ですが
途中では景色を楽しむことも出来ます・・・
下山地にはご神水があって・・・有り難かったですね

この日、登山口には地元の人達の車が多く止まっていました


小谷山登山道の整備に沢山でて下さっていたのです・・・
歩きやすいように、危なくないように・・・と
半端じゃない距離と広さです・・・
このようにしていただくお陰で私達は怪我もなく安心して
歩けるのですね!!
感謝・です・・・
時計を見るとまだ時間が早かったので・・・
小谷寺へ行くことに・・・
山際をあるいていると・・・


突然、薮から猿軍団が・・・おっ!! びっくり


沢山います・・・・・えさがないのかなぁ??
何故かカメラ目線でじっとしています・・・
じっと見るとかわいい・・・イケメン猿??

杉木立の参道の奥にひっそりとたたずむ如意輪山小谷寺
ここでも地元の人達がお寺の周りを整備しておられました・・・
ゆっくりとおしゃべりさせてもらい・・・
お寺の裏山に浅井長政のお墓があるとお聞きして
早速杉木立の中を登ることに・・・
ありましたぁ・・・

とても立派なお墓が・・・
悠久の時を経て・・・・・
こうして武将のお墓の前に立つことが
とても不思議な感じでした・・・
梵鐘
この梵鐘は江戸時代初期(1655年)の年号と願主他、作者である
蒲生・八日市釜座の大塚氏・藤原氏の名が記されています
八日市釜座は中世以来、伝統を有する近江の代表的な鋳物師集団
であったようです・・・
今年の春、根尾の薄墨サクラを見に出かけた折にも
とても立派なお寺があり彫刻が米原・上丹生の木彫集団の人達に
よって作られたと記されていましたが・・・
『その様子はここからどうぞ』
石工集団(穴太石積み)もあって近江には匠による集団がいろいろ
あったようですね!!
現在残っている建物は本堂と一部ですが・・・
普門印跡・円蔵院跡・明倉院跡・身性院跡などその当時は
多くの建物があり、繁栄していた様子がうかがわれます・・・


行く時にみた小谷山とはまた違う表情の小谷山が
迫って来るようでなんだかとても身近に思えました・・・

いろいろなことを知るいい歩きが出来ました・・・

長くなってしまいましたがご覧いただきまして有難うございました・・・

Posted by
森の妖精
at
17:40
│Comments(
2
) │
近江の山々
この記事へのコメント
こんばんは~♪
小谷山の紅葉も見事ですね。
来年の大河ドラマの小谷城跡をこれだけ丁寧に歩かれていたら
テレビを見るにも一段と力が入りますね!!
立派な山城の様子を伺う事が出来ました~♪
小谷山の紅葉も見事ですね。
来年の大河ドラマの小谷城跡をこれだけ丁寧に歩かれていたら
テレビを見るにも一段と力が入りますね!!
立派な山城の様子を伺う事が出来ました~♪
Posted by パル
at 2010年11月28日 23:20

>パルさん
こんばんは・・・
返事が遅くなりましてごめんなさい・・・
そうですね!!
来年の大河ドラマの舞台だけあってそろそろ人が・・・
という感じでした・・・
紅葉は本当にきれいで日本の秋はすてきだなぁ・・・と
つくづく思いますね!!
肝心の私はと言うと歴史が苦手ですのでいい機会だと
思って歩いています・・・(笑)
パルさんもまた少しずつチャレンジして下さいね・・・
訪問いただきまして有難うございました
こんばんは・・・
返事が遅くなりましてごめんなさい・・・
そうですね!!
来年の大河ドラマの舞台だけあってそろそろ人が・・・
という感じでした・・・
紅葉は本当にきれいで日本の秋はすてきだなぁ・・・と
つくづく思いますね!!
肝心の私はと言うと歴史が苦手ですのでいい機会だと
思って歩いています・・・(笑)
パルさんもまた少しずつチャレンジして下さいね・・・
訪問いただきまして有難うございました
Posted by 森の妖精
at 2010年12月01日 22:19
