列車壕が・・・①
2010年07月25日
蒸気機関車が戦争中に非難する為に作られた”蒸気機関車壕”が・・・・
米原は東海道線・北陸線を結ぶ大動脈の拠点・・・
太平洋戦争末期に戦局の悪化と共に鉄道施設は連合国軍の空爆の目標になり、
米原操作場も米軍の空襲目標に指定されていたという
その空襲から蒸気機関車を守るために作られた列車壕が岩脇(いおぎ)山の麓に
2つ残っています・・・
どちらも幅3m、高さ3mの大きさ・・・
岩脇山が岩盤の固い山であることから、その作業は物資の乏しい時代でもあり、、
スコップ、ツルハシを使っての手作業だった為、難工事であったことがうかがえます・・・
その難工事に従事したのは当時米原にあった捕虜収容所にいたアメリカや
オーストラリアらの兵士ら約200人のうちの人達であるといわれています・・・
しかし・・・・
その大変な工事・1つは奥行き52mまで掘り進み、
あとの1つは130mまで掘って貫通したが完成することなく終戦をむかえることに・・・
ポッカリと大きな口をあけた列車壕の中をみると・・・
作業をした人達の「汗
」と「涙
」の結晶のあとがしのばれます・・・
以後、そのままの状態で放置されていたのですが・・・
地元の方々の”戦争を風化させない厚い思い”により、
きれいに整備されました・・・(列車壕の中には入れません・・・)

山裾にポッカリと・・・その入口が・・・

一つ一つ手で掘った跡が・・・生々しい・・・

今もそのままの状態で残っています・・・
岩脇山の南側の斜面に”岩屋善光堂”があります・・・
懸造・・・と言われるお堂で堂内には石造りの阿弥陀如来像が安置されています
推古天皇の時代、熱心な仏教徒だった本田(本多)善光が信州に向う途中に
立ち寄り、神のお告げによってこの場所に仏像を安置したとの言い使えから
善光寺(長野市)とかかわりが深いお堂として人々の信仰を集めています・・・
・・・懸造とは、急な斜面や段差のある場所に建物を建てる場合に、
その床面を水平に保つため床束(ゆかづか)の長さを調整して、
床の高さを揃える工法のことで、わが国独特の建築形態である。

岩屋善光堂


立派な石垣も残っています・・・
・・・・・まだまだ続きま~す
米原は東海道線・北陸線を結ぶ大動脈の拠点・・・

太平洋戦争末期に戦局の悪化と共に鉄道施設は連合国軍の空爆の目標になり、
米原操作場も米軍の空襲目標に指定されていたという
その空襲から蒸気機関車を守るために作られた列車壕が岩脇(いおぎ)山の麓に
2つ残っています・・・

どちらも幅3m、高さ3mの大きさ・・・
岩脇山が岩盤の固い山であることから、その作業は物資の乏しい時代でもあり、、
スコップ、ツルハシを使っての手作業だった為、難工事であったことがうかがえます・・・
その難工事に従事したのは当時米原にあった捕虜収容所にいたアメリカや
オーストラリアらの兵士ら約200人のうちの人達であるといわれています・・・

しかし・・・・
その大変な工事・1つは奥行き52mまで掘り進み、
あとの1つは130mまで掘って貫通したが完成することなく終戦をむかえることに・・・
ポッカリと大きな口をあけた列車壕の中をみると・・・

作業をした人達の「汗




以後、そのままの状態で放置されていたのですが・・・
地元の方々の”戦争を風化させない厚い思い”により、
きれいに整備されました・・・(列車壕の中には入れません・・・)
山裾にポッカリと・・・その入口が・・・
一つ一つ手で掘った跡が・・・生々しい・・・

今もそのままの状態で残っています・・・
岩脇山の南側の斜面に”岩屋善光堂”があります・・・

懸造・・・と言われるお堂で堂内には石造りの阿弥陀如来像が安置されています
推古天皇の時代、熱心な仏教徒だった本田(本多)善光が信州に向う途中に
立ち寄り、神のお告げによってこの場所に仏像を安置したとの言い使えから
善光寺(長野市)とかかわりが深いお堂として人々の信仰を集めています・・・


その床面を水平に保つため床束(ゆかづか)の長さを調整して、
床の高さを揃える工法のことで、わが国独特の建築形態である。
岩屋善光堂
立派な石垣も残っています・・・
・・・・・まだまだ続きま~す

